2012年12月8日土曜日

T-18(ソビエト連邦 軽戦車)

情報元:Wikipedia(T-18)

T-18(ロシア語:Т-18)は、1928年から1931年にかけて生産された、ソ連が設計した最初の戦車である。MS-1(ロシア語:МС-1)という別名もある。ルノー FT-17 軽戦車を参考に設計されているが、走行装置に垂直スプリングサスペンションを使用するなどの違いがある。

T-18は、新たに軍事産業中央理事会の下に新設された戦車設計局の V.ザスラフスキー博士によって設計された。エンジンにはモスクワの AMO 工場が生産するイタリアのフィアット15terをコピーした35馬力のトラック用エンジンが選ばれ、主砲は FT-17 にも搭載されていたフランスの37mmオチキス SA 18 を模倣・改良したものを使用した。足回りにはスプリング式サスペンションを採用し、ルノー FT-17 と比べて路外走行性能が大きく向上していた。T-16 と呼ばれる原型車両は1927年6月に試験を受け、小改良を加えた後、7月に T-18 として量産が決定された。
T-18 の生産は、1928年5月に、レニングラード・オブホフ工場(後のボルシェビク工場)で開始された。最も初期の30両は深刻な機械的問題を抱えていた。その後も T-18 の生産は度々停止されたが、1929年には40馬力のエンジンと砲塔後部の張り出しを持った改良型が導入され、1931年までに960両が生産された。また、T-16 と T-18 は数々の実験車両のベースとなり、それらはボルシェビク工場でのテストを受けた。結果として、90馬力のエンジンを搭載する T-19、60馬力のエンジンを搭載する T-20 が開発されることになった。ハリコフ自動車工場に新たに設立された T2K 戦車設計局(後のモロゾフ設計局)では、T-18 を元に T-24 を開発している。
1929年に満州で中ソ紛争が発生した際には、T-18 を装備した実験部隊が出動し、張学良率いる中国軍と交戦している。
T-18 とその派生車両は基本的に失敗作であったが、ソ連産業にとっては、戦闘車両を初めて設計するという貴重な経験になった。