2012年11月16日金曜日

L6/40(イタリア軍軽戦車)

情報元:Wikipedia(L6/40)

L6/40は第二次世界大戦中にイタリア軍で運用された軽戦車である。正式名称はCarro Armato L6/40(6トン級軽戦車40年式)で、Lは軽(Leggero)戦車のクラスを示す。1941年から1942年末までに283輌が生産された。

1930年代、イタリアはL3豆戦車を開発、量産して装甲部隊の基礎を築いたが、無砲塔・軽装甲・弱武装のL3は、偵察用としても力不足なのは30年代末にすでに明らかであった。
フィアット・アンサルド社では、L3を拡大発展させた輸出用戦車として1936年より5t軽戦車を試作していたが、最初の試作車は無砲塔で車体左側に37mm砲を搭載、2つ目の試作車は車体の37mm砲に加えて小砲塔に8mm機銃を連装で搭載、3つ目の試作車は砲塔に37mm砲を備えていた。この5t軽戦車試作3号車が原型となり、L6軽戦車が開発された。
車体の基本的デザインは、砲塔を持つほかはほぼL3豆戦車のままで、ただし足回りは機構を一新、転輪2個のボギー2組を、長大なスイングアームを介してトーションバー・サスペンションで懸架した。接地長を稼ぐため、後部誘導輪も接地する型式であった。L6に先だって採用されたM11/39中戦車の足回りはリーフスプリング型式で、その後も量産されたイタリア製中戦車・重戦車はすべて同型式を踏襲したので、結果的に、L6はイタリア戦車中最も特徴的な足回りを持つことになった。
試作時には武装が決まらず暫定的に砲塔にブレダ8mm機銃連装を搭載したが、生産型では、試作車に比べ大型化した砲塔にブレダ20mm機関砲が搭載された。この砲塔設計は同時期に作られたAB41装甲車にも流用された。
L3豆戦車の代替として開発されたものの、生産は結局開戦後の1941年からとなり、この時にはすでに能力的に見劣りするものとなっていたため、L6軽戦車の生産は1942年末で打ち切られ、その後はセモヴェンテ da 47/32自走砲用に、1943年まで車台のみが生産された。L6軽戦車は主に偵察任務の騎兵師団に配備された。