情報元:Wikipedia(M2軽戦車)
M2軽戦車(M2けいせんしゃ)とは、アメリカ陸軍の軽戦車。1935年に開発された。T2E1(T2軽戦車を発展させた車両)の量産型であり、初期型のM2A1から最終型のM2A4まで4種類が開発された。大半が訓練用として使用されたが、一部が太平洋戦争で使用された。イギリスにも少数が輸出された。
1935年に、アメリカ陸軍の歩兵科用戦車としてM2軽戦車は開発された。当初はT2E1軽戦車と呼ばれた。これまでに開発したT1戦車、T2軽戦車のほか、イギリスのヴィッカース 6トン戦車の影響を受けていた。最初の生産型M2A1は、主武装としてM2 12.7 mm 機銃1門を1人用の小型砲塔に搭載していたが、わずか10輌で生産終了となった。
代わってM1919 7.62 mm 銃塔を1基追加したM2A2が生産に移された。このような双砲塔の軽戦車は、ソ連のT-26やポーランドの7TPなどが同時期に存在していた。並列配置された2基の砲塔を持つ外観から、当時有名だった巨乳の女優にちなんで「メイ・ウエスト」と兵士たちには呼ばれた。M2A2は239輌が完成した。
その後、スペイン内戦の戦訓から、アメリカ陸軍はより強力な装甲と武装の必要を認識した。1938年に装甲強化とサスペンションの改良をしたM2A3が開発され、1940年には双砲塔をやめて主武装を37 mm 対戦車砲とした最終型M2A4の採用に至った。M2A4では装甲もさらに強化されており、最大装甲25 mm に達している。
しかし、フランス戦での戦訓から、なお一段と強力な戦車が必要であると考えられ、1940年7月にはM2軽戦車をベースとした新型軽戦車の開発が始まっている。この新型軽戦車はM3軽戦車として完成し、1941年3月にM2軽戦車の生産は打ち切られた。最終的な生産数はM2A3が72輌、M2A4が375輌となった。アメリカ陸軍に配備されたM2軽戦車は、大半が訓練に使用された。少数のM2A4だけが、太平洋戦争中にガダルカナル島の戦いで海兵隊により実戦使用され、その後も1942年中は太平洋戦線の一部に配備された。M2A4はM3軽戦車と同じ部隊で混成使用されたことがあり、似た外観であるものの後部の誘導輪が接地していない点で区別することができる。
このほか、1941年初頭にイギリスから100輌のM2A4の供与が依頼されている。うち36輌が実際に輸出されたが、残りはM3軽戦車が完成したためにキャンセルされた。イギリスに到着した36輌は、4輌がエジプトに送られ、残りはイギリス本土の部隊に配備された。